赤い夕焼け。
赤々と燃える夕焼け。
どちらも「赤」です。
でも、頭に浮かぶ景色は、本当に同じでしょうか?
「赤い」と聞けば、私たちはその色を思い浮かべます。
ところが「赤々」と聞くと、ただ赤いだけではない。
燃えるような光。
暖かさ。
そして、どこか力強く輝いているような感じまでしてきます。
「赤」を二回重ねただけなのに。
・・・なんだか不思議です。
色を重ねると、何かが増える?
ほかの色でも試してみましょう。
青い木々。
青々と茂る木々。
黒い髪。
黒々とした髪。
やっぱり、少し違って感じませんか?
「青々」と聞くと、単に青や緑の色が濃いだけではなく、植物のみずみずしさや生命力まで感じるような気がします。

「黒々」とした髪には、ただ黒いだけではなく、艶や豊かさ、密度のようなものまで感じられます。

そして「赤々」には、光や熱、力強さ。

色を繰り返しただけなのに、なぜか色以外のものまで増えているようです。
これは「強調」だけなのだろうか?
もちろん、「赤々」「青々」「黒々」には、色の鮮やかさや強さを際立たせる働きがあります。
でも、それだけなのでしょうか。
「とても赤い」と「赤々と燃える」。
「とても青い」と「青々と茂る」。
「とても黒い」と「黒々とした髪」。
意味は近くても、頭の中に浮かぶものは少し違います。
「とても」をつけると、色の程度が強くなる。
でも、色そのものを繰り返すと、そこに質感や光、生命力のようなものまで生まれてくる。
情景が立体感を帯びてくる。
そんなふうにも見えてきます。

オノマトペではない、けど、どこか似ている
「赤々」「青々」「黒々」は、一般的な意味でのオノマトペではありません。
音をまねた言葉でもありません。
それでも、オノマトペとどこか似ているところがあります。
同じ音を繰り返すこと。
そして、その繰り返しによって、目の前の情景が急に生き生きとしてくること。
「きらきら」
「ゆらゆら」
「さらさら」
こうしたオノマトペも、同じ音を繰り返すことで、動きや感覚を鮮やかに伝えています。
では、「赤々」「青々」「黒々」の繰り返しも、どこか似た働きをしているように思えます。
Puni Puni Dictionaryでは、こうしたオノマトペではないけれど、どこかオノマトペのような感覚を持つ表現も「Almost Onomatopoeia」のカテゴリの中で紹介しています。
もし興味があったら覗いてみてください。
ブラウザの翻訳機能を使えば、日本語で表示することもできると思います。
色から見えてくる「動き」
あらためてもう一度、「赤々」を思い浮かべてみます。
赤々と燃える炎。
そこには色だけでなく、炎が揺れ、光が広がっていく様子まで見えてくるようです。
青々と茂る木々。
葉が重なり、風に揺れ、勢いよく育っている景色が浮かびます。
黒々とした髪。
そこには、光を受ける髪の艶や、豊かな量感まで感じられるかもしれません。
色だったはずの言葉に、いつの間にか動きや質感が加わっている。
もしかすると日本語は、色を「見る」だけではなく、その色から感じるものまで一緒に言葉にしているのかもしれません。
いつもの色を、もう一度見てみる
「赤」と「赤々」。
「青」と「青々」。
「黒」と「黒々」。
どれも私たちにとって、特別珍しい言葉ではありません。
だからこそ、その違いについて考えることもほとんどありません。
でも、こうして少し立ち止まって眺めてみると、不思議です。
同じ色の名前を、ただもう一度繰り返しただけ。
それなのに、そこには光が生まれ、質感が生まれ、ときには動きや生命まで感じられる。
言葉は、色に名前をつけているだけではないのかもしれません。
ときには、その色がどんなふうに見え、どんなふうに感じられるのかまで、伝える力をもっているのかもしれません。



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