外国語のオノマトペに出会ったとき、
「え、そんな音なの?」
と思ったことはないでしょうか。
意味を聞けばわかる。
どんな場面で使うのかもわかる。
それなのに、その「音」だけは、なんとなくしっくりこない。
同じものを見て、同じ音を聞いているはずなのに、どうしてこんなに違うのでしょう。
もしかすると、そんな小さな違和感の中に、別の言語から世界を見る入口があるのかもしれません。

同じ犬なのに「ワンワン」じゃない?
たとえば犬の鳴き声。
日本語では、
ワンワン
英語では、
woof woof
と表現されます。

もちろん、英語圏の犬と日本の犬が、まったく違う声で鳴いているわけではありません。
聞いている音は同じはずです。
それなのに、言葉にすると違う。
ニワトリの鳴き声も、日本語ではコケコッコーだけど、英語では cock-a-doodle-doo。
初めて聞いたとき、
「本当にそう聞こえる?」
と思った人もいるかもしれません。

でも、もし英語に長く触れているうちに、犬の声を聞いて自然に woof という感覚が浮かぶようになったら。
それは単に、英単語をひとつ学習できたということなのでしょうか。
音がないのに「しーん」
今度は、日本語を外から眺めてみましょう。
誰もいない部屋。
会話が突然途切れた瞬間。
物音ひとつしない夜。
日本語では、そんな静けさを、
しーん……
と表すことがあります。

でも不思議です。
何も聞こえないのに、「しーん」という音がある。
日本語を母語とする人にとっては、それほど奇妙には感じません。
「しーんとした部屋」と聞けば、むしろその静けさがよく伝わってきます。
けれど、日本語を外から見ている人には、
「どうして無音なのに音があるの?」
と感じられるかもしれません。
そう聞かれると、私たち日本人のほうが、
「そういえば、どうしてだろう?」
と思ってしまいます。

「もじもじ」は、どんな音?
もじもじも不思議です。
恥ずかしそうにうつむいたり、何か言いたそうなのにためらったり、小さく体を動かしたりする様子。
そんな人を見て、日本語では、
もじもじしている
と言います。

でも、「もじもじ」という音が実際に聞こえているわけではありません。
それでも日本語を知っている人なら、「もじもじ」と聞くだけで、動きだけでなく、その人のためらいや恥ずかしさまでなんとなく思い浮かべることができます。
では、「もじもじ」とは音なのでしょうか。
動きなのでしょうか。
それとも、気持ちなのでしょうか。
考えてみると、境界は意外と曖昧です。
「ふわふわ」って、結局なんだろう?
ふわふわもそうです。
柔らかい毛布は、ふわふわ。
雲も、ふわふわ。

柔らかな髪も、ふわふわ。
何かが軽く漂っている様子も、ふわふわ。
触った感じだけではなく、見た目や動きまで「ふわふわ」になることがあります。
日本語を母語とする人なら、それぞれをそれほど不思議には感じないでしょう。
けれど、外から眺めてみると、
どうしてこれらが全部「ふわふわ」なんだろう?
という問いが生まれます。
もしかすると私たちは、長いあいだ日本語に触れてきたことで、さまざまな感覚を自然に「ふわふわ」というひとつのまとまりとして感じるようになったのかもしれません。

外国語の「違和感」を、そのまま持ってみる
外国語のオノマトペがしっくりこないのも、同じことなのかもしれません。
自分が慣れ親しんだ言語とは、世界の切り取り方が少し違う。
だから最初は、
「どうしてそんな音になるの?」
と感じる。
でも、すぐに自分の言語に置き換えず、その不思議な感覚をしばらくそのまま持ってみたらどうでしょう。
何度もその表現に出会ううちに、
「なるほど。こういう感じが、この言語ではこの音なんだ」
と、少しずつ自然に感じられるようになるかもしれません。
そしていつか、何かを見たり聞いたりした瞬間に、訳すより先に、その外国語のオノマトペがふっと浮かぶこともあるかもしれません。

別の言語から、同じ世界を見てみる
言語が違っても、私たちが暮らしている世界そのものが違うわけではありません。
柔らかな雲もあります。
気まずい沈黙もあります。
恥ずかしそうにためらう人もいます。
犬も鳴きます。
ただ、それをどこで切り取り、どんな音や言葉と結びつけるのかは、言語によって少しずつ違うのかもしれません。
だから外国語のオノマトペに出会ったとき、
「これは日本語では何と言うんだろう?」
と考えるだけでなく、
「どうしてこの言語では、こんなふうに感じるんだろう?」
と考えてみる。

答えは見つからないかもしれません。
それでも、その不思議な感覚を少しだけ借りてみる。
すると、いつもと同じ世界が、ほんの少し違って見えることもあるのかもしれません。
オノマトペを知るということは、単にちょっと変わった言葉の意味を知ることだけではなく、
別の言語が見ている世界を、ほんの少しだけ一緒に見てみること。
そんなことでも、あるのかもしれませんね。



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